契約書は婚姻届

14.眼鏡を通して見える心

 実家へ帰省中、突然、友人であり上司でもある誠司から仕事の連絡を貰った大樹。電話を終えた後、何度も未練がましい視線を向けながら、彼は愛する妻を残し仕事をするためリビングから去っていった。
 そんな夫が、仕事道具を持ち二階へ上がってから既に三十分以上経過している。
「…………」
 義理の両親と共にリビングに残った響子は、夫が居なくなった事に不安を感じ、先程からチラチラと出入り口のドアへ視線を向ける。
「響子さん」
「は、はいっ!」
 その時、不意に自分を呼ぶ清美の声が耳に届き、無意識にドアへ向けていた視線を、彼女は慌てて戻した。
 緊張のせいか、膝に置いた手を思わず握り込んでしまう。心臓が激しく鼓動する音が身体を通して脳へと伝わった。
 この家に来てから、自分は大樹の両親を不快にさせるような発言や失敗をしてしまったのだろうか。不安な気持ちのせいか、彼女の中で徐々に緊張が大きくなっていく。
「本当に……大樹と結婚してくれて、ありがとう」
 しかし次の瞬間、一瞬にして自分の不安は杞憂にすぎなかったのだと彼女は知る事となった。
 響子の目の前に座る清美は、慈愛に満ちた表情を浮かべ、息子の嫁となった女性に感謝を述べ深々と頭を下げた。
 それだけでは無い。言葉こそ無いものの、清美の隣に座る樹まで、妻に倣い頭を下げる。
「……なっ!? 急にどうしたんですか! ふ、二人共、頭を上げてくださいっ」
 突然義理の両親に揃って頭を下げられ、怒られるか注意されるものとばかり思っていた響子は、驚愕のあまり数秒間言葉を失った。
 しかし我に返ると、すぐに頭を上げて欲しいと二人に頼み込んだ。
「大樹は……昔から、自己表現が不器用な所があったから。会社で色々あったって聞いた時、正直結婚は無理だろうと思ってたの」
 響子の説得になんとか顔を上げた清美達は、息子への想いをゆっくりと語り始めた。
「誠司君という素晴らしい友達に出会えた。それだけでとても有難い事だと思っていたが……瑞樹から、大樹が結婚していると聞いて、これは夢なんじゃないかと思っていた」
 今までほとんど口を開く事が無く、響子の中で寡黙な人という印象があった樹も、息子の事となれば口数が少し多くなるようだ。
 口数が少なく、厳つい顔立ちをしている樹に対し、響子は少々苦手意識を持っていた。
 しかし、今目の前に居る男は、息子を想う一人の父親なのだ。はっきりと目に見えなくても、大樹について語る樹の雰囲気が、今までより優しいものになったと響子はこの時気付いた。
「響子さん、本当に……本当に、ありがとう」
「いえ、あのっ。私の方が、大樹さんに感謝しなきゃいけないくらいで……だから、その……」
 再度深々と頭を下げる樹の姿に、響子は混乱しながら首を横に振る。
 彼女はその後、自分がどれ程大樹に助けられてきたかを、二人の前でゆっくりと話し始めた。



 大樹の両親と話が一段落ついた所で、響子は清美から受け取った二人分の飲み物を持ち、二階へ続く階段を上がっていた。
『多分大ちゃんは、みー君の部屋を使ってると思うから。階段を上がって、すぐ右の部屋がみー君の部屋よ』
「ここ、かな」
 二階へ上がった響子は、清美に言われた通り階段のすぐ右横にある部屋の前で立ち止まる。
 両手で持っていたお盆を片手で持ち直し、空いた手で部屋のドアを数回叩く。
「はーい」
 すると、ノック音に反応したのか、ドアの向こうから大樹の間延びした返事が聞こえた。
「大樹さん。お茶、持ってきました」
 中に大樹が居る事を確認した響子は、ドアノブを捻り、そのままドアを開いて中に居る夫へ声を掛ける。
 ドアの隙間から顔を覗かせ部屋の様子を窺うと、部屋の奥にあるベッドの上に寝そべっている大樹を発見した。
「あ……響子ちゃんだー。入って入ってー」
 寝そべりながらノートパソコンを操作していた大樹は、視界の端に妻の姿を見つけ、嬉しそうにおいでおいでと響子を室内へ招く。
「お仕事、終わりそうですか?」
 部屋の中へ入った響子は、ベッド傍にある勉強机の上に持っていたお盆を置き、大樹へ声を掛けた。
「んー、あとちょっとかな。今は誠司の確認待ち」
 ベッドの上に座り直し、肩が凝ったと腕をグルグル回転させながら大樹は現状を報告する。
「……眼鏡、持ってたんですね」
 肩を回す夫を見つめながら、響子は初めて目にする眼鏡姿に反応を見せる。
「あぁ、これ? いつもはしてないもんね。普段の生活とか、テレビ見るくらいなら裸眼で大丈夫なんだけど、長時間パソコン使ったり、本読んだりする時はかけてるんだ」
 かっこいいか、と期待を込めた視線を妻に向け、自分の眼鏡使用時の状況を説明する大樹。
 そんな夫を、まるで観察でもするように響子はしばし無言で見つめる。
 黒縁の細いフレーム眼鏡をかけた大樹は、普段のだらしない彼とは違い、どこか雰囲気が引き締まって見える。今の彼は、どことなく誠司に似ているだろうか。
 普段のだらしない大樹、会社でスーツを着て仕事をする大樹、そして眼鏡をかけている大樹。今まで様々な大樹を見てきた響子は、自分がこれまで目にした夫の姿を思い返す。
 今は私服だが、眼鏡をかけた状態でスーツを着用し仕事をすれば、仕事が出来る格好いい副社長になるだろう。
 確かに、眼鏡をかけた夫は、いつもと違う雰囲気を纏い、魅力的に見える。そんな夫を見れば、また女子社員達が騒ぐかもしれない。
「……こっちの方がいいです」
 響子は、ベッドの上で胡坐をかいて座る大樹の傍へ近付き、不意に手を伸ばすと、彼から眼鏡を奪いポツリと呟いた。
「えっ!? に、似合ってない? でも……響子ちゃん、この前の眼鏡かけた俳優さんが好みなんでしょ?」
 突然眼鏡を奪われ、妻が呟いた言葉を耳にし、大樹は酷く驚いた様子を見せる。
 先日、瑞樹が出演した番組を見ていた時、響子は、俳優の伊瀬己輝にキラキラとした視線を向けていた。
 そんな妻の姿を目にし、自分も眼鏡をかければ、あの俳優に対抗出来るのではと考えていた大樹。
 しかし、実際眼鏡をかけた姿を披露すれば、無い方が良いと言われてしまい、狼狽えるしかなかった。
「……あぁ。確かに、伊瀬己輝はかっこいいと思いますけど。だからって、眼鏡かけた人が好きかって言われると、そうじゃないですし」
 夫の言いたい事を理解したのか、響子は苦笑交じりに口を開く。
「大樹さんの眼鏡姿が嫌な訳でもないんです。嫌じゃないんですけど……その、いつもの大樹さんの方が、素の大樹さんって言うか。眼鏡かけてると、女の社員さん達がまた騒ぎそうっていうか……」
 眼鏡は似合っていると夫に伝えようとした響子だったが、話すうちにじわりじわりと顔や耳が赤く染まり、彼女の声はだんだん小さくなっていく。
 そのまま恥ずかしさの限界に達したのか、彼女はその場に突如しゃがみ込み、真っ赤になった顔を見せまいと両膝に額をくっつけてしまった。
 最後は完全に心の声が漏れていた。これでは、会社の女子社員達に嫉妬していると自白する様なものだ。
 湯気が出るのでは無いかと思ってしまう程、まるで茹蛸のように赤くなってしまった響子。
 別に眼鏡をかけた男性に特別な魅力を感じる訳では無いが、大好きな人が見せてくれる眼鏡姿に心躍らないわけが無い。
 大樹の眼鏡姿を目にした瞬間、彼女が思った二つの感情。それは、ときめきと独占欲だった。
 普段はヘラヘラとした姿ばかり見せる大樹が、眼鏡をかけただけでとても凛々しい男性に見える。贔屓無しに、彼の魅力は格段にアップしていると感じた。
 そんな大樹が社内で目撃されれば、また女性社員達が彼に群がるに違いない。
 愛する人が他の女性達に囲まれている場面など、出来る事ならもう二度と見たくない。眼鏡をかけた大樹の姿を、他の女性社員に見せたくない。
 心の中で膨らむ独占欲に、響子は困り果てていた。
 まさか自分の中に、こんな醜い感情があるなど、響子は大樹と出会うまで知りもしなかった。彼と出会ってから、今までに無い経験ばかりしている。
 十歳以上年の離れた大樹の妻として、彼に相応しい女になりたい。そんな理想を掲げてはいるものの、現実は厳しく、響子は日々心の醜さを実感している。
 球技大会直後は隠し通せた独占欲が、ここにきて大樹に伝わってしまうなど、予想外の出来事だった。過去に戻れるなら、今すぐ戻って自分の発言を修正したい。
 突然あんな事を言われ、黙り込んでしまった妻を目にし、きっと大樹は戸惑っているだろう。
 まだ引かぬ顔の熱さを感じながら、響子は膝から少しだけ額を離しチラリとベッドの上に居る大樹へ視線を向ける。
「…………」
 そんな彼女が視線を向けた先、そこに居たのは、困惑状態のため言葉を失い、妻と同じくらい真っ赤に顔を染めた大樹だった。
「……?」
 何故彼は顔を赤くし戸惑っているのだろう。自身の顔が熱を持っている事など忘れ、響子はそのまま顔を上げ、不思議そうに夫の顔を見上げる。
「なんで……君はそう、不意打ちで爆弾落とすかなー……」
 盛大な溜息を吐き、爆弾がどうのと言う夫の姿に、響子はますます首を傾げるばかりだった。



「……大樹さん」
「んー?」
「あの、これ……いつまで続けるんですか?」
 とても恥ずかしいんですけど、という響子の心の声は、夫の耳に届く事は無かった。
 自分の嫉妬心をつい言葉にしてしまい、どうしたものかと悩んでいた響子。そんな彼女は今、ベッドの上に座り、正面から大樹に抱きしめられている。
 妻を抱きしめる大樹は、先程から何故か上機嫌らしく、だらしなさ全開の緩みきった笑みを浮かべていた。
 今までの会話の流れから、どうしてこんな状況になっているのか。一連の流れをまったくと言って良い程響子は理解出来ていない。
 今にも鼻歌を歌い出しそうな程上機嫌な夫の様子に、頭の中で疑問符を浮かべながら、響子は顔をあげそっと彼を顔を窺う。
「んふふ……ふふふっ」
「…………」
 頬を緩ませ、ニヤニヤと笑みを浮かべる夫。その姿を目にし、響子は無意識のうちに顔を引きつらせた。
 妻を抱きしめ、不気味な笑いを零す大樹。
 せっかくの休日に仕事をしろと言われたストレスで、どこか頭のネジが飛んでしまったのだろうか。そう考えてしまう程、夫の笑顔は不気味だった。
 いくら妻という立場の響子でも、今目の前に居る大樹は正直気持ち悪い。
 これからどうしたものかと考えながら、夫から奪った眼鏡を手に持ったままだった事を、響子はふと思い出した。
 体がくっついている体勢とは言え、力一杯抱きしめられているわけでは無い。そのため、自分と大樹の間には僅かな隙間が出来ている。
 響子は、大樹から奪い取った眼鏡を改めて観察し始めた。
 最近では、眼鏡がずれないよう耳にかけて支えるテンプル部分にデザイン性を求めた商品が多くなっている。
 その日のファッションや気分によって眼鏡を変えたり、ファッションアイテムの一つとして楽しむ人も多くなってきた。
 しかし、大樹がかけていた眼鏡は、無駄な部分を排除したかなりシンプルなデザインの物だ。
 普段の大樹は、服装等に関し、ファッション性より自分が身につけて楽かどうかを求める傾向が強い。
 そんな彼が、模様入りのテンプルを使った眼鏡をかけている所など、響子は想像出来そうになかった。
 やはりこの眼鏡は、大樹に一番似合っているのだろう。そんな事を考えながら、彼女は眼鏡姿の夫を思い出し、口元に僅かな笑みを浮かべた。
「響子ちゃんは、眼鏡かけて無い俺の方がいい?」
 その時、夫の眼鏡を様々な角度から観察する妻を眺めていた大樹が、不意に口を開いた。
 突如頭上から聞こえてきた夫の問いかけに、響子は今まで眼鏡へと向けていた視線を、改めて己を抱きしめる大樹へと向ける。
「会社では……あんまり……」
 先程の発言で、自分は同じ会社の女性社員に嫉妬していると言ってしまったようなものだ。こうなったら、自分の気持ちに正直になった方がいいのかもしれない。
 そう思った響子は、だんだんと熱くなる頬の熱を感じながら、視線を夫から逸らし弱々しい声で自分の気持ちを言葉にする。
「そこはうんって頷きたいんだけど……会社の方が、家よりパソコン使うんだよね。だから、少しだけは……かけるの許して?」
 小首を傾げ、にこりと笑みを浮かべ眼鏡の使用許可を求める大樹の言葉に、響子は慌てて顔を上げ激しく首を横に振った。
「そ、そういう意味じゃないんです! 仕事で眼鏡を使うのは全然、むしろ使ってください。目が悪くなりますから! ただ、えっと……女の人達の前では、その……」
「女子社員の前じゃ、眼鏡かけちゃ駄目?」
 大樹の問いかけに、響子は恥ずかしさを感じながらも、無言で小さく頷く。その反応は、夫の問いかけにイエスと答えているようなものだ。
「どうしてかけちゃ駄目なの?」
 大樹は更に妻へ質問を投げ掛け、真っ赤に染まった彼女の頬に両手を添え顔を上げさせる。
 至近距離で感じる夫の視線に、響子の顔はますます熱くなるばかりだ。夫の視界から顔を逸らそうにも、頬に添えられた男性特有の手がそれを許さない。
「そ、れ……は……」
 響子は言葉を詰まらせ、あまりの恥ずかしさに唇を僅かに開いた状態で固まってしまう。
 女性社員の前で大樹が眼鏡をかけてはいけない理由。その理由を言葉にする事を、彼女の中にある理性が邪魔する。
「……その顔、反則でしょうに。……っ」
「んっ!」
 自分の問いかけに対する妻の回答を待っていた大樹だったが、至近距離で己を見つめる妻の妖艶な表情に魅せられ、次の瞬間まるで貪るように妻の唇を奪っていた。
 愛する女性が、自分の問いに羞恥のあまり頬を上気させ、瞳を潤ませながら僅かに唇を開きこちらを見つめてくる。そんな表情に、何も感じない男などいるわけがない。
「……ん……ふ……はっ」
「ん……んんっ」
 妻の唇に吸い付いていた大樹は、そのまま僅かに開いた唇の隙間から己の舌を滑り込ませる。
 突然の事に驚き、引っ込みそうになる響子の舌を追いかけ、わざと卑猥な水音を立てながら彼女の口内を執拗に犯していく。
「だい……き……ふぁっ」
 自身の口内で動き回る己の物とは違う舌の熱さに、響子の理性は少しずつ、そして確実に崩れていく。
 彼女は咄嗟に目の前にある大樹の服を掴み、夫の舌を使った愛撫に身体を震わせた。
「ん、ね……他の子の前で、……はっ、俺が眼鏡かけるの……嫌?」
「はぁ……や……嫌、です。かけちゃ、駄目……ん、んっ」
 熱のこもったキスの合間に、先程と同じ問いを彼が再度呟けば、熱に浮かされた響子の口から本音が漏れる。
 そんな妻の答えに、満足げな笑みを浮かべた大樹は、ご褒美とばかりに妻の性感帯である耳へ舌を這わす。
 先程まで響子の手に握られていたはずの眼鏡は、いつの間にか彼女の手から滑り落ちカーペットが敷かれた床の上に転がっていた。
「やっ、はぁ」
 耳朶に甘く歯を立てられ、耳から脳へとダイレクトに伝わる水音に響子の身体はどんどん熱くなる。
「だい、きさ……まだ、仕事が……」
「んっ……大丈夫だよ、まだ誠司がチェックしてる途中だって。それより、ね? 休日に仕事頑張ったご褒美ちょうだい」
 今まで頬へと添えられていた大樹の手が、響子の華奢な肩へと移動し、僅かな力を入れ妻をベッドの上へ押し倒す。
 響子を押し倒した衝撃で、ベッド隅に置かれていた大樹のノートパソコンとスマートフォンが床へと落下する。ベッドの高さはそれ程でもないため、故障の心配はないだろう。
「で、でも清美さん達が下にっ」
「心配いらないって。母さんは、きっと気を利かせて響子ちゃんにお茶運ばせたんだろうし……ん、っ」
 今はこんな事をしている場合では無いと、次々と響子の口から零れる不安要素。そんな言葉を聞きたくないとばかりに、大樹は妻の首筋に舌を這わせる。
「大樹さ……駄目ですっ、あっ、はぁ」
「響子ちゃんが可愛い事ばっかりするから、俺結構限界なんだよ……はぁ」
 口では駄目だ駄目だと言いながら、響子は本能的に夫の後頭部へ添えた手に力を入れてしまう。そしてそのまま、まるで赤ん坊を抱きこむように己の身体へ夫の顔を押し付ける。
 夫の行動を咎める彼女自身も、彼と同じように興奮していた。いつもとは違う部屋、下の階にある人の気配。その一つ一つが戸惑いと共に興奮を生み出し、ますます身体を熱くする。
 自身の行動が大樹の興奮を更に煽る事になるなど知らず、響子は愛する人が与えてくれる甘い刺激と共に漏れる自身の声を抑えようと必死になった。
「大樹……」
「……響子」
 至近距離で二人の視線が交わる。熱のこもった声で互いの名を愛おしそうに呼び合い、ただでさえ近い顔の距離が更に縮まっていく。
 二人の唇が重なろうとした瞬間、床の上に転がったスマートフォンが、とある人物からの着信を告げた。



『っ、お前は何でいっつもいっつも、いーっつも、最悪なタイミングで電話してくるんだよ!』
『はぁ!? せっかくの休日に申し訳ないと思って、お前の倍以上仕事してる俺の身にもなれ、この阿呆!』
「あらあら」
 息子夫婦にお茶請けの煎餅を届けようと、清美は煎餅の入った器を手に二階へ上がってきた。
 しかし、彼女がドアをノックしようとした瞬間、扉の向こうから聞こえる言い合う声に思わず手が止まってしまう。
 清美はクスクスと小さく笑い、そのまま上ってきたばかりの階段をゆっくりと降り始めた。
「……いいのか?」
 階段の下で待っていた樹の言葉に、清美はにこりと笑った。
「なんだか楽しそうだったから、邪魔をしちゃ悪いでしょ?」
「あれは……楽しい、のか? 部屋の外まで響いてるぞ」
 もうすぐ四十歳になろうとしているいい男達が、まるで子供のように言い合いをしている。
 そんな息子とその友人の姿を思い浮かべ、樹は痛む頭を抱え溜息を吐いた。
「ふふ、いいじゃないの。たまに帰ってきてるんだから、本人の好きにさせてあげて。それより……今日の夕食どうしようかしら」
「……寿司でも取りなさい。今日くらい祝ってやらないと」
「お寿司!? いいの、樹さん?」
 寿司を出前してもらえという樹の発言に、清美は目をキラキラと輝かせる。
 夫が頷いた事を確認した彼女は、そのままリビングへ駆け込み、持っていたお茶請け用の煎餅をテーブルの上へ置くと、棚の引出しを開け、出前専用のメニュー表を探し始める。



 この日、浅生家にまた新たな家族が増えた。
 夜遅くまで続いた宴のおかげかは定かでは無いが、翌朝目覚めた響子の心には、もう不安の欠片は一切残っていなかった。
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